2014/10/5:田母神俊雄氏「日本は侵略国家であったのか」の私的解説を一部修正しました。 |
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日本を侵略しようとした蒙古軍を撃退 |
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15世紀ごろからヨーロッパ諸国による世界各地の植民地支配が開始された。植民地支配を確実にするため、現地にある歴史的建造物・書物を徹底的に破壊した。南北アメリカ大陸、アフリカ大陸、オセアニア大陸に歴史的建造物・書物が少ないのは、そのためである。 | |
関ヶ原の戦い |
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アヘン戦争後の南京条約で清の開港地を定める。 | |
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英国軍艦サマラン号は、英国全権使節の禁令で広東以北のいかなる清国領土にも近づくことを禁じられ、転じて清国領外の尖閣諸島を測量した。
【八重山日報】 http://bit.ly/GDvWoB | |
日米修好通商条約の締結 |
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大政奉還が行われる |
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〜 1895年 |
【日清戦争(1894年〜1895年)の構図】 李王朝(清が支援)vs東学党・朝鮮民衆(日本が支援) ↓ 日清戦争 ↓ 清:宗主国、李王朝:属国の関係を解消 つまり、長年、大陸勢力から直接または間接的支配を受けていた朝鮮半島の民衆に独立精神を芽生えさせようとしたのが日本である。 |
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・クニャージ・スワロフ→国の親父・座ろう ・アレクサンドル三世→呆れ三太 ・ボロジノ→襤褸出ろ ・アリョール→蟻寄る ・オスラビア→押すとピシャ ・シソイ・ウィイリーキー→薄い錻力 日露戦争時、横文字に不慣れな日本海軍内では、ロシア戦艦名を上記のように識別した。 |
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〜 | 1917年のロシア革命後、ドイツは1918年春、西部戦線に攻勢をかける。それを牽制するため、日本・アメリカによるシベリア出兵が行われた。第一次世界大戦終結後、アメリカ軍はシベリアから撤退したが、日本軍は撤退しなかった。これが原因で日英同盟が破棄られ、日本は国際社会から孤立した。 |
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【アメリカのオレンジ計画】 日露戦争後、これ以上の日本の勢力拡大を恐れたアメリカが考案した日本を仮想敵国とした戦争計画。オレンジ計画の最終版は『日本が先制攻撃により攻勢に出て、消耗戦を経てアメリカが反攻に移り、海上封鎖されて日本は経済破綻して敗北する』となっている。 | |
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支那とは、万里の長城以南を差し、満州は含まれていません。ただ、満州で建国された清が支那の明を滅ぼした。その後、中華民国が清を倒したため、中華民国=支那+満州のイメージが出来てしまった。その満州に日本の傀儡政権を作ったのいうのは、歴史の捏造です。 | |
【盧溝橋事件の真実 】 日本は大東亜戦争で、決して自分たちから侵略行為をしたのではありません。そのきっかけと言われている盧溝橋事件の真実を知れば、中国側からの挑発であることは、明白です http://bit.ly/192JaDx |
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〜 1939年 |
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カラーで見るアジア植民地支配時代 第一集 Indonesia:
http://youtu.be/K70rm_-e-OA
@youtubeさんから
1938年から1939年にかけて撮影されたオランダ領東インド(現インドネシア)のカラー映像です。(9分26秒) |
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【欧米諸国の植民地政策】 @宗教弾圧 A現地人の教育を殆ど行わない B植民地の利権を本国に | |
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独ソ不可侵条約の締結 ドイツ、ポーランド西半分を侵略 英・仏、ドイツに宣戦布告 ソ連、ポーランド東半分を侵略 | |
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ソ連、エストニア・ラトビア・リトアニアを侵略 ドイツ、フランスを降伏させる アメリカ大統領にフランクリン・ルーズベルトが3選 | |
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ドイツ、ソ連の侵略開始 | |
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1941年6月、独ソ線が開始された途端、アメリカは以下の施策により、日本を挑発した。 @アメリカ太平洋艦隊の基地をアメリカ西海岸からハワイ真珠湾に移転 Aハルノートに代表される強硬な外交手段 | |
日本海軍、ハワイ真珠湾を攻撃 アメリカへの宣戦布告が1時間遅延 |
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【大東亜戦争時の日本の占領政策】 @宗教保護 A現地人の教育(軍事訓練、民族意識) B占領地の利権を現地にも還元 これにより、東南アジア各国では大東亜戦争後、相次いで独立戦争が起こった。 |
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1943年11月に開催された大東亜会議は、史上初めて有色人種のみで行われた多国間会議としての意義がある。参加国は以下のとおり
・日本国 ・中華民国(南京)国民政府 ・満州国 ・フィリピン共和国 ・ビルマ国 ・タイ王国 ・自由インド仮政府 |
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〜 1945年 |
硫黄島作戦 1/2: http://youtu.be/aytAXDAEfN4 2/2: http://youtu.be/BGLvZa9X63g@youtubeさんから 殆どがアニメですが、硫黄島の戦いの全体像や栗林忠道陸軍中将の人間像が上手く表現されています |
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硫黄島の戦に先立ち、栗林忠道陸軍中将が作成し全軍に配布した「敢闘の誓」:
http://youtu.be/rgyZM1J6BY4
@youtubeさんから @〜C:【略】 D我等は敵十人を斃さざれば死すとも死せず E我等は最後の一人となるも「ゲリラ」に依って敵を悩まさん |
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【硫黄島の戦】日本国内で行われた地上戦は沖縄だけではない。 栗林忠道陸軍中将率いる日本軍2.1万人に対し、米軍は16万人・制海権・制空権も掌握していた。約1か月の戦闘で日本軍は玉砕したが、米軍の死傷者は2.9万であった。犠牲者の多さから米国内では、戦争早期終結の声が広まった。 |
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硫黄島地獄の上陸作戦 US MARINE in IWOJIMA 1945:
http://youtu.be/FE9pHNLKrKs
@youtubeさんから 米軍従軍記者が撮影した映像。栗林忠道陸軍中将率いる日本軍2.1万人の奮闘は、米国民に衝撃を与え、戦争早期終結に繋がった。 |
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(アメリカ)広島、長崎に原爆投下 (ソ連)日ソ中立条約を一方的に破棄 | |
ポツダム宣言を受諾 |
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大東亜戦争開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)
「…東亞永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝國ノ光榮ヲ保全セムコトヲ期ス」
(失ったもの)二百万人の英霊、国土の荒廃 (得られたもの)東アジア十億人の植民地支配からの脱却 日本は、軍事力では敗れたが、戦争目的は達成した。 |
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#拡散 10分で自虐史観の洗脳が解ける魔法の動画(ナレーションつき):
http://youtu.be/kbRuWV-OXis 一人でも多くの人にこの動画を観て欲しいから、botにて拡散し続けて行きたいと思います。 賛同して頂ける方、お手伝いのほどよろしくお願いします。 |
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ソ連の東ヨーロッパ支配体制 ・エストニア・ラトビア・リトアニア(全土がソ連領になる) ・ルーマニア(北部モルドバ地方がソ連領になる) ・ポーランド(東半分がソ連領になり、旧ドイツ領の一部を押し付けられる) |
〜 1948年 |
1948年11月12日、東京裁判の判決 ・被告:東條英機ほか ・刑罰:絞首刑 ・容疑:侵略戦争、南京大虐殺 ・犯罪:侵略戦争 |
1946年9月30日、ニュルンベルク裁判の判決 ・被告:ゲーリング(ナチスNo.2)他 ・刑罰:絞首刑 ・犯罪:ユダヤ人大量虐殺 |
〜 1948年 |
1946年〜1948年に審理が行われた東京裁判の訴因は、当初55項目である。しかも、そのうち「大虐殺」は、南京、広東、漢口、長沙、衝陽、桂林・柳州、の7項目であった。 支那は王朝が変わる度、大量虐殺が行われてきたため、日本にも同じ罪を負わせようとした。 |
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大東亜戦争後の1948年11月12日に判決が行われた東京裁判は、以下の問題点がある。 @裁判官・判事が連合国側から選出されたこと A裁判官・判事のうち、国際法に精通しているのは、インドのパル判事のみであったこと B被告側から提出された証拠書類が殆ど採用されなかったこと |
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【2014/1/5:追記】 「現在のような構成の裁判所をもってしては正義の行われない可能性がある」…「司法権の行使は、たんに正義が行われていることを保証する、というだけでなく、さらに正義が行われつつあるという印象をあたえるような方法でなされるのでなければならない」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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【2014/1/5:追記】 「戦争というものは、合法的なものにせよ、非合法的なものにせよ、また侵略的なものにせよ、防禦的なものにせよ、やはり一般的に認められた戦争法規によって規律されるべき戦争であることに変わりはない」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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【2014/1/5:追記】 「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは敗戦者を即時殺伐した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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【2014/1/5:追記】 「占領なくして征服はないが、しかし占領と制服を混同してはならない」…「戦勝国が戦敗国に関してどのような行為をしようとも、それは軍事占領国の資格において行うのであう。軍事占領国は被占領地の主権者ではない」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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【2014/1/5:追記】 「犯罪にたいして裁判を用い、刑罰を科する手段は、戦争に敗れたものにたいしてのみ適用されうるという段階に国際機構がとどまるかぎり、刑事責任の観念を導入しても、とうてい抑止的と予防的の効果を期待しうるものではない」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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【2014/1/5:追記】 「東半球内におけるいわゆる西側諸国の権益は…軍事的暴力を変じて…築かれた…。しかし『暴力を用いる者が、その暴力を真心から後悔しつつ、しかもそれと同時に、この暴力をもって利益をうるということは永久にできない』と述べることは、おそらく正しいものと思う」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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【2014/1/5:追記】 「時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、そのときこそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう」 〔東京裁判パル判決書〕 |
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1948年11月12日、東京裁判の判決が確定し、A級戦犯7名に死刑が宣告された。 1948年12月23日、死刑が執行された。この日が選定されたのは、今上天皇陛下(当時の明仁皇太子殿下)の誕生日だからである。 連合国は今上天皇陛下に一生、戦争犯罪の意識を植え付けようとした。 |
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中国共産党、満州国を侵略 | |
【朝鮮戦争の初期、仮に在日米軍がいなければ、南朝鮮も共産化していた可能性がある】 1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越え、南朝鮮に侵入 同年6月28日、北朝鮮軍によるソウル占領 この頃から、在日米軍を南朝鮮に逐次派遣 同年9月上旬、北朝鮮軍、大邱・釜山付近まで攻勢 |
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【2014/1/5:追記】 1950年10月15日、マッカーサーはトルーマン大統領との会談において「戦争犯罪人には手出ししてはいけない。うまくいったものではない。ニュルンベルク裁判や東京裁判は戦争の抑止力にはならなかった。」と述べている。 |
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1951年、マッカーサーは、朝鮮戦争の国連軍最高司令官を更迭されたのち、アメリカ上院軍事外交共同委員会で「日本が大東亜戦争に突入した目的は、主に安全保障上の観点からのものであった。」と述べている。 |
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〜 1956年 |
サンフランシスコ講和条約第11条第2項で、 東京裁判を行った国の過半数の同意を得た場合は「戦犯」を赦免できることになっていました。 日本は関係各国に働きかけ 1956年 「A級戦犯」全員赦免・釈放 1958年 「BC級戦犯」全員赦免・釈放 を正式に勝ち取った。 |
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